今夢の先の未来

すきなもの・こと・ひとについて独断と偏見で殴り書きます。

わたしとあらし

どうも。

こんな拙いなんの足しにもならない文章を読んでくれているそこのあなた、ありがとうございます。たまごぼーろです。

 

以前からはてブ書いてみたいと思いつつも絶対にはてブ書くようなオタクにならないぞという矛盾と謎のプライドを抱えて生きること少々、今日しかねぇ!と思って今書いています。多分これ、とてつもなく長いです。

 

 

 

2020年12月31日。

ついにこの日がやって来てしまいました。

 

私はいわゆる‪「永遠の新規」‬である花男落ち嵐オタクです。嵐を好きになった明確な瞬間は覚えていないのだけれど、2007年1月花より男子2を見た時の沼に落ちていく衝撃だけは鮮明に覚えています。(まぁ花沢類派なんだけどね、道明寺ごめん)

MステLove so sweet→花男の流れ、最高でした。(局違うけどね)

この時点でまだまだ茶の間。

 

 

まぁそこから全女子が櫻井翔の顔面にハマる時代が来るわけで。(盛った)

2009年なんて嵐大ブームで‪「好きな食べ物何?」‬ぐらいのテンションで‪「嵐の中で誰が好き?」‬って会話がクラスでなされてましたよね。

FCは翌年のホワイトデーに父が入会させてくれました。この頃の思い出は伝説のananを親にバレずにどうやって買うか吹部の先輩と友達と必死に考えてたくらいですかね(薄)小学生にとってあれはエロ本です。

 

こうして晴れてジャニオタとなったわけですが初現場は2011年6月。ワクワク学校でした。相葉雅紀のスタイルの良さにビビり散らかした記憶しかありません。(誰担?)

 

初めてのLIVEはアラフェス2012。

初めてのLIVEが国立なんて贅沢な奴ですね。

 

それに昔からぶっ飛んだオタクだったので初遠征はなんと中2。これもワクワク学校で大阪でした。なぜわざわざワクワクで遠征したのか。今でもしないのに。

 

そんなぶっ飛びオタクはずっとこの熱量でオタクして来た…わけでもなく高校時代はだいぶ疎かだったと思います。ふぁっく 成田

 

レギュラーはほぼ追えず辛うじてアルバムシングルなどは買い続ける。今思うとよくFC抜けなかったなぁってくらいゆるゆるでした。というか時間がなかった。

 

その中でもシルバーウィーク中に部活ぶん投げて行った宮城は最高でしたね。なんだかんだ、1番好きなライブかもしれない。まぁこれどの公演でも言ってるけど。高校生活では唯一の遠征だったし、初めて高校の友達とライブ行ったってのも楽しかったんだろうなぁ。(なぜかこの日同じ高校の同級生が同行含めて4人も入ってた。宮城は近所かよ)

 

 

かなり緩いオタクだった私が再び今の熱量に戻った原因は受験です。正確に言うと推薦で大学に受かって暇だったからです。

高校3年間を埋めるかの如く怒涛の勢いで今まで見れなかったもの逃してたものを摂取し続けたらこちらの世界に戻ってくるまでそう時間はかかりませんでしたね。周りの友達が受験で忙しく遊び相手がいなくてただただ暇な日々がなかったらそのまま担降りしてたかもしれません。ありがとう筑波大学。(ここでお馴染みのヒルナンデスの画像)

 

大学に入ってからのオタクっぷりはご存じの通りかと。実家暮らしバ畜オタクしか勝たん。財力と時間を得たオタクは強かった。前述のananエロ本騒動(ネーミング)の友人を再び沼に引きずり込んだのもこの時期。彼女は立派なDDになりました。

 

そんな中発表されたのが活動休止。

2019年1月27日。忘れもしないドレリハ後の3学のバス停でその知らせを受けたこと。

そこから2年。もう2年。

2年という期間が短いのか長いのか段々わからなくなった。「意外とあるじゃん」と思うこともあった。でも2年終えてよくわかった。

 

別れの時の準備期間なんて何年あっても足りねぇ!!!!!

 

 この一言に尽きると思います。嵐が2年という準備期間を設定してくれたことすごく感謝している。ある日突然「活動休止します!」とか言われたら訳も分からず身投げしてたかもしれない。この期間で少しずつ色んなことを受け入れていったつもりだったし考え方も多分変わった。でも「あ、嵐いなくても意外といけるかも」と思ったことは一度もなかった。

あまりにも私の人生の中で嵐が占めるウエイトが大きくなりすぎていた。

 

残念なことに(?)私には掛け持ち先がない。探してみたこともあったけど結局何を見ても誰を見ても嵐と重ねてしまってだめだった。

各所のオタクから‪「お前は一途で本当に偉い」‬と度々言われていました。偉いかどうかは度外視しますが、愛=金である私が他のジャニーズに目移りしなかったのはとても賢明な判断だと思います。嵐に使った総額、数百万。(推定)

 

多分この先もなんとなぁく嵐の幻影を追いながら、個人活動に邁進する自担の全自動ATMであり続けるんだと思います。その道中で、来るべき時が来ればいいけど。

 

 

ここまでただ嵐と私の歩みを振り返っただけで、この文章に何の意味があるのかわかりません。多分意味なんてないんだと思います。ギリギリ人様に読んでもらえるレベルにアウトプットすることでなんとか理性を保とうとしています。でも最近涙すら出てこない。

活休発表の時は毎晩泣いて泣いて、意識飛ばすまで泣き続けて朝を迎えるような生活してて、「これいざその時が来たら私どうなるの?」と思ってたけど逆に泣けない。2年前の方がよっぽど実感あったんでしょうね。

 

というのも、去りゆくものよりも今できる最大限をこれでもかってぐらい届けてくれる嵐が眩しくて悲しくも寂しくもなれない。今わたし、すごく幸せなんです。この2年間、どう考えても楽しかったことの方が多いんですよね。コロナでできなかったたくさんのこと、やらせてあげたかったなぁ。見たかったなぁ。

 

このまま2021年を迎えるのか否か、わかりません。どこでスイッチ入るのか。まぁぶっちゃけ櫻井翔がどう出るかみたいなところはあると思います。知らんけど。

 

何もまとまってませんがそろそろ期末レポート並みの文字数になってきたので締めたいと思います。

 

嵐を知って13年。ファンになって11年。

 比喩でもなんでもなく嵐が私の人生の全てでした。

「これは別れではない...」と信じて。

This is 嵐 LIVE 2020.12.31

目に、胸に焼き付けたいと思います。

 

嵐のオタクになれて、本当に良かった!!!!!

 

本当にありがとう。また会おうね。

 

おしまい